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宮崎地方裁判所 昭和60年(わ)255号 判決

主文

被告人を懲役四年に処する。

未決勾留日数中二四〇日を右刑に算入する。

理由

(犯行に至る経緯)

被告人Aは昭和五九年二月二九日から宮崎県日南市大字風田三八六一番地所在の医療法人同仁会日南精神病院(以下日南精神病院という。)にアルコール依存症等の病名で入院し、昭和六〇年八月三一日同病院を退院すると同時に同病院内にある同大字三八五八番地所在の更正施設「希望の里」に入所し、既に入所していたB(昭和九年一月一日生)及びCと生活を共にするようになつた。

Bは精神分裂病の寛解後昭和五九年九月から「希望の里」に入所し、昭和六〇年四月からは日南市内の塗装店に就職して「希望の里」から通勤していたもの、Cは被告人と同じくアルコール依存症等の入院治療の後昭和五九年一二月から「希望の里」に入所し同病院の雑役などをしていたもので、右両名は一室に同居していたが入所者の取り決めに従い炊事は個別にしており、他方、被告人は右両名とは別室で単独に居住していたが食事についてはCの炊事道具を使わせて貰つて同人と共同でしていた。

ところで「希望の里」内では規則によつて飲酒は禁止されていたにもかかわらず、被告人は入所直後からCと一緒に毎日のように酒を飲むようになり、それを察知した同病院の総婦長から何度か注意を受けていたところ、同年一〇月七日の午前中、同病院に診察を受けに行つた際、総婦長から「あんた達は毎日酒を飲んでいるらしいね。」と追及を受け、その場は言い逃れ、同日午後零時ころ帰宅して「希望の里」の台所兼食堂でCと焼酎を飲みながら、同人に対し、総婦長に酒を飲んでいるのではないかと追及されたことを話すと、Cが「それはBが告げ口をしたからだ。Bは掃除も草むしりもしないし、ここらで一回懲らしめてやろう。」と述べたことから、やがてCとの間でBが通勤に使用している自転車をパンクさせて、同人が仕事を休まざるを得ないように仕向けてやろうということで相談がまとまつた。

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和六〇年一〇月七日午後六時四〇分ころBが自転車に乗つて帰宅すると、同人が風呂に入つている間に同人の自転車の後輪タイヤを錐で突き刺してパンクさせ、再び「希望の里」の台所兼食堂に戻り、風呂からあがり、台所で夕食の料理を作つているBに対し、同室の炬燵の前に座りながら、「今日病院に行つたら総婦長からあんた達は毎日酒を飲んでいるのではないかと叱られた。あんたが告げ口したのではないか。」と文句を言つたところ、料理を終えたBが炬燵の前に座つている被告人に近づき「飲む方が悪いじやないか。」などと言いながら、その肩を平手で押してきたため立ち上がつてBの襟首を両手でつかみかかるなどしたところ、同人が被告人を突き放すようにして手拳で被告人の胸部あたりを突いたことから後方によろめき、背後の同室南側にある水屋に体をぶつけそのガラス戸を割るなどしたため激昂し、とつさに殺意を抱き、流し台の下の包丁差しから刃体の長さ約一七センチメートルの出刃包丁(昭和六〇年押第八五号の一)を持ち出し、右包丁で同室内にいたBの右腹部を力一杯一回突き刺したが、同人に約三〇日の加療を要する横行結腸、空腸穿孔、左腎損傷などの傷害を負わせたにとどまり殺害の目的を遂げなかつたものである。

(証拠の標目)〈省略〉

(補足説明)

一被告人は、逮捕されるに際して、被害者の腹部を出刃包丁で突き刺した旨を自認していたものであり、被告人の捜査官に対する供述調書をみても変遷はあるものの、右の点の自白は一貫していたのであるが、公判段階に至り、第一回公判期日において右自白を翻して、公訴事実を全面的に否認し、その後、本件の真犯人はCであり、同人との約束で罪をかぶつてやるべく虚偽の自白をしていた旨弁解するに至つた。被告人の当公判廷における弁解の内容には種々変遷があるが、帰するところその要旨は

(イ)  被告人は昭和六〇年一〇月七日午後七時一〇分ころ「希望の里」台所兼食堂において料理を終えてテーブルに座つて食事を始めたBに対し、総婦長に自分やCが酒を飲んでいることを告げ口したのではないかと追及したところ、Bが「酒飲んで俺にからむ気か」と言つて被告人の頬を二回殴つてきたため、被告人は不意を突かれて後ろに倒れ、背後の水屋にぶつかつてガラスを割つてしまつた。

(ロ)  そこで被告人は起き上がつてテーブルの椅子に座つているBの首に左手を引つ掛けるようにして同人に飛びかかつたところ、二人とも床に倒れてしまつた。

(ハ)  被告人はBに押さえつけられるような格好となつて、このままでは体力的に勝る同人に負けそうであつたので同人を脅かしてやろうと考え、同人の脇をすり抜けて炊事場に包丁を取りに行き、包丁差しに差してあつた出刃包丁を取り出してBに向かつて行き、切りかかつたところ同人が左腕でよけたため左前腕部に切創を負わせ、更に同人の顔をめがけて包丁を突き出したところ同人の左頬に刺さつた。

(ニ)  そのころ、被告人の左からCが二人の間に割つて来て、Bが床にしやがみ込んでいつたので、被告人はCを見たところ同人は右手に洋出刃包丁を握つており、CがBを刺したのが判つた。

(ホ)  そこで被告人は自分の右手に握つた出刃包丁を左手に持ち替え、右手でCから洋出刃包丁を取り上げ、これを炊飯器の置かれた台の上に置き、同人に病院に電話するように指示した。その際、Cには同施設で一箇月面倒を見て貰い世話になつていたことから同人に「今晩やつたことは自分一人でやつたことにするから何も心配せんでいい。」といつて罪をかぶつてやることにした。

(ヘ)  その後、被告人はCが病院に電話するのを待つていると、同人が電話番号が分らないというので自分も手伝うべく電話器のそばに歩み寄つたが、その前に出刃包丁をガラスの割れた水屋の前の床に置いた。

(ト)  ところが、被告人はふと後ろを見ると、床に倒れていたBがいなくなつており、同人の行方を捜すと、廊下に点々と血痕がついていたのでこれを辿つて行つたところ、風呂場の扉の外にBが腹を押さえて倒れていた。Bは被告人の顔を見て「A君、助けてくれ。腸が出てるみたいだ」と言つていた。

(チ)  そのうちに、病院に電話が通じないということでCが直接連絡をするために走つて行き、数分後に看護人と一緒に戻つてきた。またその後当直の医師も駆けつけてきたので、被告人は、玄関の方に回つて「大変なことになつた」などと思いつつ座つていたところCが来たので、同人に再度前記(ホ)同様のことをいつて罪をかぶつてやる旨話したところ、同人は「頼むから。」と返事した。

(リ)  逮捕後、被告人は真相を明らかにしなければBに申しわけないと考え、何度か、真犯人はCであることを供述したこともあるが、その都度Cと一旦約束したことだからと思い直し、結局は自分の犯行である旨の虚偽の自白を維持した。

というものである。

そして、弁護人も、本件犯行に及んだのはCであり、被告人自身は被害者の顔面及び左腕を出刃包丁で傷つけただけで、被害者に対し殺意を持つたことはなく、被告人の捜査段階における自白は、Cに約一箇月余何かと世話になつていたので同人に恩義を感じ、同人をかばうために自己の犯行として認めたもので、事実に反する内容虚偽のものであつて、公訴事実については無罪である旨主張している。

二そこで、まず本件の被害者であるBの供述をみるに、同人は被告人から腹を刺されたということ自体は一貫して供述しているが、その内容を仔細に検討すれば、いくつかの点で軽視することのできない変遷があることを見出しうるのである。なかでも、①被告人に腹を刺された点について当初はその所持していた凶器の包丁を含めてはつきり見たと供述していたのに最終的には「誰が何でどこからどのようにして私を刺したのか覚えておりません」(昭和六〇年一〇月二七日付検察官に対する供述調書及び当公判廷における供述。なお以下では供述調書については二七日付検面調書というように表記する。)という供述に変つていること(ただ、それにも拘らず、それまでの経緯やその場の状況などから犯人は被告人以外にはないとするのである)、②当初は、腹、左頬、左腕の各傷害をその順序で負つた旨明確な供述をしていたのに、二二日付検面調書では腹、左腕、左頬の順序で傷害を負つたという供述に変り、更に二五日付員面調書以降では左腕の傷をいつ負つたのか記憶がないと供述を変えていることは重要である。

また、その供述中には、「(腹を刺されて床に倒れ痛みをこらえているとき)包丁が飛んできて左頬に突き刺さつたので、それを引き抜いた」というような、左頬の傷害の程度等から推して到底納得し難いような部分もある。

これらの諸点に照らせば、Bの供述は、本件被害に遭う前後の状況については十分信用してよいものと考えられるものの、肝心の凶行の場面そのものについては必ずしも決め手とはなり得ないものというほかはない。

三次に、被告人・弁護人から本件の真犯人であるとして名指しされたCの供述について検討するに、同人は当公判廷において、要旨「自分の部屋で寝ていたと思うのだが、ガタンガタンという物音がしたので起きて台所兼食堂に行つてみると、AとBが取つ組み合いをしていた。こらいかんと思つて病院の詰め所に電話したが、通じなかつた。背後で被告人がやつてしまつたというのを聞いた。Bが外から自分を呼ぶので出てみると、同人が外に倒れており、Aから腹を刺されて腸が出ているので早く助けを呼んできてくれと言うのを聞いて、初めてBがAから腹を刺されたのを知り、病棟まで走つて行つて看護員を呼んできた。自分は被害者を刺したり、被告人に加勢したりしたことはない。」と供述し、捜査段階においてもほぼ右と同旨の供述をしている。

しかしながら、Bは、同人が仕事から帰つてきた時Cは食堂にある炬燵をはさんで被告人と向かい合う形で座つており、その後被告人がBに文句をつけたことから両名の間で喧嘩が始まり、挙句にBが被告人から刺されるという一連の経過の中でCは終始食堂にいたと供述しており、被告人も、二四日付検面調書では「Cは私(被告人)とBが口喧嘩をしている時台所から出て行き自分の部屋に戻り、私がBに殴られ押し倒された時には台所にはいませんでした」と述べる一方で「(Cは)私が水屋に背中をぶつけてガラスを割つてその後起きた時台所に入つて来て、いつもCが座る座椅子の方へ行つた」と、Cが右の極く短い時間以外は本件犯行の前後を通じて台所兼食堂にいた旨供述しているのである。(もつとも、被告人の七日付員面調書では「CはBが風呂に行つている間に自分の部屋に戻つていた」とあるが、これはその後の一五日付及び一六日付各員面調書において嘘であつたとして明確に否定されている。)

ところでCの供述は、被告人とBの取つ組み合いの喧嘩が始まつた際の自身の所在そのものが既に曖昧なのであるが、Cが当日はおそらく適量を上回る相当量の焼酎(被告人の一六日付員面調書によれば四合二勺位とある)を飲んでいたことなどを考慮に入れても、Cの供述中には、仕事から帰つてきたBに対し風呂に入るように勧めたり、被告人からBの自転車のタイヤに穴をあけてきたことの報告を受けたりしたことを認める部分があるのであつて、ここまでの記憶がある以上自分が何処にいたかはつきり覚えていないというのはやはり不自然なことといわなければならない。

右にみたところからすると、自室で寝ていたと思うというようなCの供述は信用できず、CはBが腹を刺された前後をほぼ通じて食堂に居たものと認められる。

このようにCは被告人とBが取つ組み合いの喧嘩をする前からほぼ通じて犯行現場である食堂に居合わせたのに、犯行状況そのものについては「わからない」「覚えがない」と繰り返すのみで何ら具体的な供述が得られないのである。その理由として、Cは被告人とBの喧嘩を止めさせるために病院に電話をかけていたので背後にいる二人に何が起きたのか分からないかのようにも供述しているが、①被害者は捜査段階、当公判廷を通じて一貫して腹を刺されて倒れてから窓際にいたCに電話するように頼んだ旨供述していること、②被告人もCが電話をかけたのはBが腹を刺されてからのことである旨これ又一貫して供述していること、③C自身、七日付巡面調書においては、「風呂場の方からBが『Cさん刺された。腸が出ちよるが。病院へ電話してくれ。』と叫んでいた。そこで私は台所の電話器から病院に電話を掛けたが通じなかつたので病院まで走つて行きDを呼んできた。」と述べていることからすれば、Cが病院に電話をかけたのはBが腹を刺されて後のことであると認められるから、前記Cの供述は到底措信できない。

Cはまた「焼酎を飲んで相当よつぱらつていたし、二人が喧嘩しているのを見て気が動転したこともあつてなにがどうなつたのか思い出すことができない。」とも述べているが、これも容易に人をして納得せしめるものではない。同人が当日はいささか適量を越える量の焼酎を飲んでいたことその他の事情によつても右の結論が直ちに左右されることはないものと考える。

以上みてきたとおりCの供述は全体的に極めて不自然であり、何らかの理由で故意に自分を犯行現場から遠ざけようとしたり、或いは犯行状況についての供述を避けようとしているのではないかとさえ疑われる程である。

四次に、被告人の捜査段階における供述をみるに、その各供述調書によれば、被告人は、捜査官に対し犯行状況について詳細な自白をしているのであるが、その自白内容には重要な部分で種々変転があり、しかも、証人E及び被告人の当公判廷におけ各供述によれば、被告人は捜査段階においても二度にわたり自白を撤回し、その都度、Bの腹を刺したのはCである旨の当公判廷における主張と同様の供述をしていたことが明らかになつた。

そこで、以下、右証人E及び被告人の当公判廷における各供述並びに被告人の各供述調書によつて捜査段階における被告人に対する取調べ及びその際の被告人の供述の推移を概観しておくこととする。

(1)  被告人は逮捕当日の一〇月七日には「晩飯の準備を台所でしていると、被害者が帰宅して順番が違うと言つて近寄つてきたので文句を言うと、被害者は腹を立ててガスコンロにあつたヤカンを取つて頬を一回殴りつけてきた。そして更に急須をもつて殴りかかつてきたので包丁を持つたまま防戦したが、急須が当たつて床に飛び散り、かつとなつて腹を二、三回刺した。」と供述し、翌八日も犯行状況について事情を聴取したが、被告人が述べる内容は前日と同様であり、この日は身上関係に限つて調書が作成され、一〇月九日に送検された。

(2)  一〇月一一日に調べを再開したところ、被告人は一転してCが腹を刺したと供述を変えた。その具体的な内容は「Bと喧嘩になり、まず自分が出刃包丁を取りに行き、Bの腕とか頬を切つた。そうしているうちにCが流しの方に行つて菜切り包丁(洋出刃包丁を指す。以下、統一して洋出刃包丁という。)を持つてきてBの腹を刺した。刺した後被害者は自分の目の前で床の上に倒れたので、Cに電話を掛けろと言つて、電話を掛けさせた。Cは洋出刃包丁を炊飯器の横において電話を掛けに行つた。」というものである。

(3)  それを受けて捜査官が同日被害者から事情を聴取した結果、Cも当時台所にいたが、腹を刺したりしたのは被告人であるとの明確な供述が得られ、翌一二日Cを取り調べた結果Cは犯行に関与した覚えは全くないこと、犯行状況については覚えていない旨供述した。そこで同日、捜査官が右の結果を被告人に告げて本当のことを言うようにと追及すると、再び腹を刺したのは自分であると供述を変え、「洋出刃包丁については全くわからない。腕と頬の傷は自分はやつていない。したがつて、Cも何らかの方法で関与した(洋出刃包丁を使つたりした)かもしれないが、自分ははつきりと分からない。Cに対しては一宿一飯の恩義があるので自分一人がやつたことにしておく。」と述べるに至つた。その後警察官の取調べ段階では右供述に変化はなく、捜査官の方で、出刃包丁でまず頬と腕を傷つけ、その後出刃包丁が何らかの理由で使えなくなり、洋出刃包丁で腹を刺したのではないかという推理を立てて、被告人を追及したが、被告人は「出刃包丁で腹を刺した。洋出刃包丁については分からない。」とあくまで前記供述を維持した。

こうして、一五日付員面調書では、「それまでに供述した被害者と喧嘩になつた経緯や被害者がヤカンや急須で殴りかかつたこと、犯行当時Cが自分の部屋に戻つていていなかつたことについては全部嘘であつた。Cが現場に居合わせなかつたという供述をしたのはCが加わつていたのではないかという状況にあつたので事件後、Cに事件のことは一人でやつたことにしておくという約束をしたので逮捕された時の調書で一部嘘を述べ(た)」と供述し、更に一六日付員面調書では「婦長に告げ口をしたのは被害者ではないかと追及したところ、被害者はこれを否定し、いきなり左顔面を拳骨で払うように殴つてきたので次の瞬間後方に飛ばされ、水屋に叩きつけられガラスが割れた。その時Cが被害者に対しお前しかおらんと言つていたように覚えている。被害者から攻撃を加えられてかつとなり、被害者の脇をすり抜け、包丁一本を取り出して被害者の正面から腹をめがけて思い切り一回突き刺した。我に返つた時Bは両手で腹をおさえ、痛い痛いといつてうずくまつていた。その時、Cも私の側に立つている感じがした。自分としては腹を一回刺した記憶しかなく、Bの顔からも出血していたので、Cも何かやつたのではないかという気がした。頬や腕を切りつけたということについてははつきりしないが、これは覚えがないような気がする。包丁を二本取り出した記憶はない。こんなことからCがからんでいるのではないかと考えてみたが、何も覚えていないのではつきりしたことは分からない。ただ、Cが何かしたことは間違いないと感じて、この一箇月Cには一宿一飯の恩義もあるので、ここは俺一人で罪をかぶることにしようと思い、救急車を待つ間Cを玄関に呼び、これは俺一人したごつしとくからなと言うと、Cもうん頼むわと返事した。病院に電話をかける時にもCに俺一人でしたごつしとくからなと言つておいた。」と供述しているのである。

(4)  そして、被告人は一〇月一七日の検察官の取調べに対しても、「腹は自分が刺した。それ以外の傷は覚えていない。Cさんがやつたのではないか。」と供述していたが、一〇月二一日の検察官の取調べの際再び自白を翻し、「Cが『この前のかたきだ』みたいなことを言つて左側の方から飛び込んで来てその直後被害者が倒れた。Cは洋出刃包丁を手にしており、同人が被害者の腹を刺したことが判つた。Cは犯行後洋出刃包丁を炊飯器の台の横に置いた。」と述べるに至つた。

(5)  ところが、一〇月二四日の検察官に対する取調べに対しては、被告人は再度Bの腹を刺したことを自白し、犯行状況について、「被害者を脅かそうと考え、出刃包丁を取り出した。Bも私の方について来てガスコンロの上にあつたヤカンを握ろうとしたが、私が包丁を握つたのを見てヤカンを離して部屋の中央部に戻つた。私は包丁を握つた右手を振り上げて『たたつ切つてやるぞ』というとBは炬燵の方を振り向いてその上に置いてあつたCの急須を取り上げようとしたが、すぐそれをやめ『切れるものなら切つてみろ』といつてつかみかかつて来た。そこでつかみかかつてくるBの左腕を切りつけた。もう一度脅かすつもりで包丁を振り上げるとBは『まだやる気か』といつて向かつてきたので、左頬に包丁を突き刺した。Bがひるまず向かつてくるので包丁を取り上げられたら自分がやられると思い、Bが左頬を押さえて少し左を向いた瞬間体ごとぶつかつて右腹を刺した。包丁は豆腐を刺したようにすつと入り、刃が全部入つてしまいBの腹が私の右手にさわつた。Bは痛いと叫んで傷口を押さえ、床にくずれてのたうち回つていたが、なおも『この野郎』などと言つてまだ元気があるように思えたので、その顔の前にしやがみ床に出刃包丁を突き立てて『殺そうと思えば殺せるんだぞ。』と脅かした。するとBは『A君、俺が悪かつたからこれ以上俺をいじめないでくれ』などといつて謝つてきた。それでCに病院に電話するように頼んで、自分も電話器の方へ行つたがその際割れたガラスを踏んで足の裏を切つたので両手でさわつて傷の状態をみた。そうこうしているうち、いつのまにかBが台所から居なくなつているのに気づきBがまだ元気があつて、襲つてくるかもしれないと思い、それに備えて洋出刃包丁を流しの包丁差しから取り出した。」と供述し、これ以後の調書は右供述を更に補足する内容のものとなつている。

このように、①被告人が既に捜査段階においても二度にわたりBの腹を刺したのはCである旨の主張をなし、それに沿つた具体的な供述をしていた事実があるということのほか、被告人の自白内容を検討すれば、②被告人の逮捕当日の取調べの際の供述を録取した七日付巡面調書にあつて、Bとの喧嘩の原因を食事の仕度をする順番が違うといつてBが被告人に文句をつけてきたことにあるとし、またCは自分の部屋にもどつていたなどと、その後被告人自身が嘘であつたとして撤回し、また客観的にもBの供述などからして虚偽であることが明白である事実を主張していたことは、Cを本件犯行と無縁のものとし或いは同人を犯行現場から遠ざけようと企図していたものと解することもできないわけではなく、そうだとすれば或いは被告人が主張するようにCとの間で同人をかばつてやる約束がなされていたのではないか、仮にそうではないとしても、少なくとも被告人においてCは本件犯行と全く無関係であるということにしなければならないと考えており、かつ又被告人がそのように思い込む何らかの事情があつたのではないかということを推測させるものであること、③警察段階における自白では、Bが左腕と左頬をも負傷していること、兇器とされる出刃包丁の切先が裂け、曲つていること、洋出刃包丁に血痕が付着していることなど、いずれも重要な事実が解明されていないままであること、④これに対し検面調書にあつては、右の未解明であつた諸点について全て一応の説明がなされているのであるが、反面これらの供述はそれに先立つ自白と対比すれば否定しようのない客観的な事実を前にして捜査官の追及と相俟つて理詰めで考え出した理屈にすぎず、必ずしも記憶に基づくものではないのではないかとの懸念を払拭しきれないこと(それ故、例えば、被告人が出刃包丁を振り上げて「たたつ切つてやるぞ」といつたのに対し、Bは「切れるものなら切つてみろ」といつてつかみかかつてきたので、同人の左腕を切りつけ、それでも向かつてきたので更に左頬を突き刺したなどとする供述のように、その詳細で順序だつた内容にも拘らず却つて信用性に疑念をもたれるものさえある。この点についていえば、Bの「私はもしAさんが包丁を握つて向つてくるのを見ていれば……逃げているはずです。」(同人の二七日付検面調書)という供述の方が余程自然であるし、特に左腕の負傷はそれ程軽微なものではなかつたのであるから、その後もなおひるまず向つていつたなどということは尋常ではなく、到底納得し難いところである。もつともBの最終的な供述によれば同人は左腕の負傷については認識していないというのであるが、被告人のいうような順序で負傷させたのであれば、Bが気付かないということ自体が不自然である)というようないくつかの疑問が生ずるのである

五以上検討してきた諸事情に鑑み、被告人の捜査段階における自白の信用性判断に具体的に踏み込む前に、まず争いのない事実や動かし難い証拠によつてどこまでの事実が認定できるかについて検討し、しかる後に被告人の右自白の信用性を検討することとする。

1  まず、前記のような趣旨にのつとつて証拠を検討した結果確定される事実は次のとおりである。

(イ) 被害者の右側腹部の傷害は刺創であり、その切口は右下から左上に斜めに向かつたもので長さは六・五センチメートル位、幅は五ミリメートル位で一本の直線を形成し、刺創の深さは約二〇センチメートルでほぼ水平に近い状態で被害者の体内の左後方部に入り、腹膜を破つて横行結腸の上部、結腸間膜を切り、更に空腸を一箇所その上部を切断し、空腸間膜を破つて左腎臟の下極を切断しており、これら一連の傷は一個の創洞で一回の包丁様の鋭利な刃物で形成されたものと考えられる。

また、左腕前部の切創は長さ五センチメートル、深さ約三センチメートルで筋肉を切断しその表面の形状は一本の直線であり、左頬部の切創は長さ二センチメートル位、深さ五ミリメートル位で骨には達していなかつた。

(ロ) 被害者及びCの血液型はいずれもB型であり、被告人のそれはA型である。

(ハ) 事件直後「希望の里」の台所兼食堂の南側のガラス戸の割れた水屋の前に出刃包丁が、同室北側の炊飯器の置いてある台の上に洋出刃包丁が遺留されていた。そして、前記(イ)のとおり被害者の右側腹部の傷害が鋭利な包丁様の刃物による一回の刺入で形成されたものであることからすると、その凶器としては右二本の包丁のいずれかが使用された蓋然性が高い。

(ニ) 出刃包丁は刃体の長さ一七センチメートル、刀身の最大幅四・一五センチメートル、峯の最大幅〇・三八センチメートルであり、先端から長さ約一・八センチメートルの峯部側部分は約四五度内外の角度で左側に曲がり、その部分の刃部側では幅約〇・四センチメートルの部分が長さ〇・七センチメートルにわたり右方に、つまり柄部側に巻いて直径約〇・三センチメートルの環状を呈している。右方に巻いた長さ約〇・七センチメートル部分に続く、それより先端までの長さ約一・一センチメートルの刃部側部分は欠損し、左側に曲がつた部分の刃部側縁はジグザグ状で環状に巻いた部分とはかなりの力をもつて裂け隔てられたことがわかる。被害者の腹部の傷の状態と照合してみた場合、被害者の傷は鋭利な刃物で形成されたものであるのに対し、出刃包丁は先が破損し、そのままの形状では到底被害者の傷は形成され得ないものであるが、先端の欠損部分がなければ同人の腹部の傷を形成することは可能である。

また、洋出刃包丁の刃部の長さは一七・一センチメートル、刀身の最大幅四・三七センチメートル、峯の最大幅〇・一五センチメートルであり、被害者の腹部の傷を形成することは出刃包丁同様可能である。

(ホ) 被告人が本件当夜Bと喧嘩をした挙句に包丁を取り出し、これを用いてBに何らかの傷害を負わせたことは疑問の余地がない。そして、その際被告人が所持していた包丁は出刃包丁である。(この点につき、被告人は、一六日付員面調書では「はつきりはしないが、握りの感触から出刃包丁のような気がする」と述べるにとどまつていたが、二四日付検面調書では「出刃包丁に間違いない。この包丁の柄はCがつけかえたもので、握つた感触からもこの包丁に間違いない」と断定するようになり、以後これを前提として供述をなし、本件犯行を否認し真犯人はCである旨供述するに至つた当公判廷においてもこの点は一貫して維持しているのである。

もつとも当初やや曖昧な感のあつた供述がその後まことに断定的なそれに変つたという点はその信用性につき一般的にはいささか警戒すべきことではあるが、ただ、①それが本件出刃包丁の柄の特性―本来のものではなく、Cがとりかえた手製のものである―からくる握りの感触といういかにも具体的な事実を判断材料としたものであること、②警察官が被告人を緊急逮捕した際、被告人は台所兼食堂の床の上にある出刃包丁を指さしながら、「この包丁でBさんの腹を刺しました。」と述べ、その後、血の付いた二本の包丁を示され、どちらの包丁で刺したのか確認を求められた際にも迷わず出刃包丁を指し示したことが認められること、③本件直後出刃包丁はガラス戸の割れた水屋の前に置かれていたものであり、右包丁を所持していた者がこれを置いたと認められるのであるが、被告人は捜査段階のみならず当公判廷においても一貫して出刃包丁を持ち出してから、これを水屋の前に置くまで手放したことはなく、最後に出刃包丁を水屋の前に置いた際に水屋の割れたガラスの破片で足の裏を切つたと供述するところ、現に逮捕後被告人の右足の裏には三箇所に鋭利な物で切つたと見られる切創があり、被告人の右供述を裏付けていることからすれば、「出刃包丁を所持していた」とする被告人の前記供述はやはり十分信用してよいものと考える。

2  そこで、問題は被害者の腹部に刺入されたのは出刃包丁及び洋出刃包丁のいずれであるのかという点に絞られるわけであるが、高濱桂一作成の鑑定書及び証人高濱桂一の当公判廷における供述並びに捜査段階における鑑定の結果によれば、これが出刃包丁であることが明白に認められる。

以下、右鑑定等の内容を高濱鑑定を主体に具体的にみるに、

(イ) 出刃包丁の刃部では左右両側面の全般にわたつて夥しい赤色ないし赤褐色の汚染が、また柄部には稍不規則にまばらに赤色ないし赤褐色の汚染がそれぞれ認められ(刃部寄りの所に汚染幾分著しい。)、肉眼的顕微鏡的に見て、刃体に付着している血痕の汚染らしいと思われる血痕様異物について三箇所(刃部の左側面先端の環状部分に移行する付近、環状部分の内部、刃部左側面柄側付近)から試料を採取して血痕予備検査、人血検査を実施した結果はいずれも陽性の反応を示し、血液型検査ではB型血痕の反応を示した。また、柄部については三箇所の検査箇所のうち二箇所にB型血痕の付着が認められた。なおこれとは別途に捜査段階におけるルミノール試験による血痕予備検査では刃体及び柄のほとんど全てが血痕反応陽性であり、右陽性部の一部(刃部二箇所、柄一箇所の計三箇所)を採取して人血検査をした結果は陽性であり、右人血検査陽性部につき解離法による血液検査を実施した結果はいずれもB型であつた。

以上のとおり、刃部に血痕様異物が万遍なく付着していること、試料の採取が刃部の広い範囲から五箇所についてなされ、そのいずれからもB型人血が検出されたことからすると、統計的に見て刃部にはB型の人の血液が全般的に付着しているものと推認でき、B型人血が全般的に付着するような状況でこの包丁が使用されたことが認められる。これに対し、洋出刃包丁の血痕様異物の付着状況は肉眼的、顕微鏡的検査の結果、刃部左側面ではその中央部分を主として斑点状に比較的少許の赤色ないし赤褐色汚染を認め、同右側面では中央部分から先端寄りに向け、左側面よりは幾分多めの同様汚染を認めるが、その汚染の状況は出刃包丁に比べて著しくまばらで限局性である。柄部についてはその左右両側面及び上下面にはその中央部分を主として、比較的多量の暗赤褐色汚染を認め、柄部のこれらの汚染部では幅〇・〇五から〇・〇七センチメートル間隔で互いに平行する多数条の微細線状隆起を認め、その性状から推して形成の機転は、おそらく汚染物に汚れた手指で該柄部を把持したため指紋ないし掌紋の溝部にあつた汚染物が柄部に付いていわゆる逆指紋、逆掌紋を付着せしめているのではないかと推測される。

ところで、血液は表面張力が小さいために刃体に付着した場合、水のように滴状にならず、そのままの形で付着して残り易く、人体への刺入によつて刃器に血液が付着する場合には刃体に万遍なく血痕の汚染があつてしかるべきであり、刃体につき肉眼や顕微鏡的検査を実施しても、血痕の付着が確認できない箇所については、その付着の可能性を全く否定することはできないにせよ、その可能性は極めて低いということができる。したがつて洋出刃包丁の刃体に確認できる血痕様異物が右のとおり、まばらで限局性であることからすると、仮にそれが人の血痕であつたとしても刃体全体に万遍なく付着しているとはいいがたい。(もつとも、司法警察員作成の一〇月二八日付鑑定書によると、ルミノール反応は洋出刃包丁の刃部に広範囲に認められるというのであるが、血痕予備検査であるルミノール試験は血液以外の物質例えば、金属の錆、植物、動物の体液等についても反応し、必ずしも右包丁に血液の汚染があつたとは言えないのである。)

そして、右血痕様異物についての血液型学的検査の結果は、刃部については先端から約四・三センチメートルの位置から採取した試料について血痕予備検査は陰性で、該部は血液に汚染されておらず、刃体から採取した他の二箇所についても人血反応はないが、柄部については三箇所のうち一箇所からA型血痕が検出されていることが認められる。

なお、前記司法警察員作成の鑑定書によると、刃部からB型血痕が、柄部からA型血痕が検出されており、柄部については前記高濱鑑定の結果と一致しているものの、刃体については異なる結果となつているのであるが、この点については、検査試料の採取箇所の相違から説明でき、必ずしも矛盾しないことが認められる。

(ロ)  高濱鑑定人は、各包丁の刃部に人間の消化酵素が付着しているかという鑑定事項に対して、アミラーゼ活性検査、胆汁色素証明、トリプシン活性測定の各検査を採用し、出刃包丁の刃部から各検査につきそれぞれ三箇所の異なつた場所(計九箇所)から試料を採取して検査をおこなつたところ、胆汁色素証明、トリプシン活性測定についてはいずれも陰性であつたが、アミラーゼ活性検査は全て陽性であつた。

ところでアミラーゼは唾液膵液中に含有されるものであるが、消化酵素そのものは腸管の下端に至るまで活性を失うことはなく、結腸、空腸を傷つけた場合当然その凶器はアミラーゼによつて汚染されるところ、被害者の傷は横行結腸、空腸を一部切断し、現に傷口から右腸の内容物である糞便が犯行直後噴出していることから、この傷の形成に使用された凶器がアミラーゼによつて汚染されている蓋然性は極めて高いというべきである。そうするとB型人血が全般的に付着するような状況で出刃包丁が使用されたこと、出刃包丁に付着している血痕様異物などからアミラーゼが検出されたことを考え併せると、出刃包丁が被害者の腹部に刺入された蓋然性が極めて高いと言うことができる。

これに対し、洋出刃包丁の刃部についてなしたアミラーゼ活性検査、胆汁色素証明、トリプシン活性測定の各検査の結果はいずれも陰性である。

(ハ) 以上の血痕の付着状況、血液型学的検査、消化酵素検査を前提にして考えると、出刃包丁が被害者の腹部に刺入された蓋然性は極めて高いといえるが、出刃包丁は先端部分が破損しており、そのままの形状では到底被害者の傷は形成される筈がない。そこで、この破損が生じた時期が問題になるが、環状部分の内部には膜様を呈する暗赤色ないし淡黄赤色の血液ないし血清様乾固部が存在しこれについて血液型学的検査を実施したところB型人血を検出したこと及び前記のとおり包丁の刃部全面にB型血痕が付着していることから見て、一旦包丁全面に血液が付着した後に物理的作用で刃部の一部が裂けて環状部となり、環状部分の内側に血痕が残された蓋然性が高いといえるし、また出刃包丁は日常調理に使用されていたものであるところ、本件全証拠を精査しても出刃包丁が犯行時流し台の下から持ち出される前に既に調理に支障を生じる程度にその先端部において破損していたことを窺わせる証左も見当らないうえに、被害者の蒙つた腹部以外の傷害の部位、程度に照らしてみても、その先端部の破損を招来するような仕方で出刃包丁が右各傷害の形成に供された形跡もないことからすると、出刃包丁の先端部分の破損の時期は出刃包丁の腹部刺入による血痕等の付着後ということができ、被害者の腹部の傷の形成とは矛盾しないことになる。

なお、洋出刃包丁については、仮にこれが被害者の腹部に刺入されたとすると、刃体の全面に血痕の付着が肉眼的、顕微鏡的に確認されるはずのところ、前記のとおり、付着状況はまばらであること、特に、先端から約四・三センチメートルの位置から採取した試料について血痕予備検査は陰性で、該部は血液に汚染されていないことからすると、少なくとも右箇所から柄の方の刃体部分は人体への刺入に供されなかつたということができるのであり、被害者の腹部の傷の深さと一致しないこと、更に消化酵素が検出されなかつたことなどを考慮すると洋出刃包丁は被害者の腹部に刺入されたものとは認め難い。

ところで、弁護人は消化酵素の有無についての鑑定はおそらく我国において最初かもしれない旨の高濱証言を受けて消化酵素の有無について鑑定が我国で最初である以上本件鑑定は現段階では高度の信用性を有するとは言えないと主張するので以下若干検討するに、

(イ)  アミラーゼ、胆汁色素、トリプシンは量的にも消化酵素の主体を成し、その検出方法も確立しており、一般的にトリプシン、胆汁色素の検出定量をするという方法は疾病の診断に使われており、また、法医学においても遺体の病態の解明に使用されている。

(ロ)  検体が包丁であることから、その性質上料理に使用され、食物が付着している可能性があるほか、犯行に使用されたとすれば検査試料に血痕が付着している可能性があるが、仮に本来アミラーゼを含有していないそれらの成分に対し右検査が陽性の反応を示すとすると検査方法それ自体の正確性に疑義が生ずることになる。そこで、右検体の検査に先立つて、アミラーゼを含有していないはずの鶏肉、大根、血清を対照試料に選定し右検査を実施した。その結果はいずれも陰性に反応し、検査方法の正確性を確認している。

(ハ)  試料は肉眼的、顕微鏡的検査を行つて血痕様の汚染のひどいところ、(血液を含め、汚物が付いている可能性のあるところ)を選んで最低限有意な数である三箇所から採取し、しかも採取箇所を狭い範囲に限局せず、全体的に広い範囲に分散させている。そして、検査結果は出刃包丁についてはいずれも陽性の反応を示しており、統計学的な信頼性は十分に高いと言える。

(ニ)  獣の腸内にもアミラーゼは存在し、仮に検体を使用して獣の腸を調理したとすれば陽性の反応が出る可能性があり、右検査方法では人獣のアミラーゼを区別することはできないが、本件包丁が最近そのような調理に使用されたことを窺わせる証拠はない。

(ホ)  出刃包丁からは胆汁色素とトリプシンについては陰性の反応であつたが、これは胆汁色素の検査方法であるハリソン変法、トリプシンの検査方法であるゼラチンフィルム法いずれも、感度が低く、しかも検体からの検査試料が微量であつたことに原因していると考えられ、採取した試料に胆汁色素、トリプシンが付着していないと断定することはできない。

これら諸点からすると高濱鑑定には信用性を認めることができ、弁護人の主張は採用できない。

3  以上のとおり、被害者の腹部の傷害を形成した凶器が出刃包丁であること、犯行時に出刃包丁を所持していたのは被告人であることが明らかになつたわけであり、これにより被告人が本件犯行の犯人であることを優に認定できるのである。

六被告人の自白の信用性と当公判廷における犯行否認供述等の不合理性

(1)  被告人がいうところによれば、被告人がCの罪をかぶつた理由は同人に対する一宿一飯の恩義に報いるためということであるが、恩義といつても僅か一箇月余の間食事の世話になつたというようなことにすぎない。これに対し、被告人がかぶろうとする罪は殺人未遂悪くすると既遂になるかもしれないという大罪である。この点について被告人は当初ちよつとした怪我で済むだろうと思つて犯行現場でCに罪をかぶることを約束したなどと供述するが、少なくともその後間もなくして、被害者の腹からは腸が飛び出ており、多量の出血があることが分つて、被害者は死ぬかもしれないとまで心配していたというのであるから、遅くともその時点以降は殺人罪の既遂の罪責を問われかねない状況にあることを十分に認識していたはずである。それにもかかわらず、玄関のところで再度被告人の方から罪をかぶる約束をしたというのは、いくらCの世話になつていたからといつて理解しがたいことである。そればかりか、本件の諸般の状況に照らせば被害者が倒れた時点において既に事態は相当深刻であることが予見できたのではないかと推測されるのであつて、当初事態を軽くみてしまつたという被告人の供述そのものが疑わしいというべきである。

また、仮に、Cとの間に被告人が述べるような類の会話が交されたことがあるとすれば、それはBの自転車をパンクさせたということか或いはせいぜい被告人がその一六日付員面調書で供述するような状況を前提とするものであつたと解されるのであつて、被告人が当公判廷で供述するところは、被告人とCの立場についてまさに主客を転倒させているものといわなければならない。思うに、被告人がこのような主客転倒の主張をするに至つたのは、捜査官(警察)において二本の包丁の使用状況を解明することができず、そこからCも何らかの方法で犯行に荷担していたのではないかとの推論をたて一六日移行も被告人を取調べ、その際、「お前は嘘を言つているね。お前一人でやつたとは思つとらん。」という追及の仕方をしたことがあつたことが認められるところ、このようなCに対する警察の嫌疑と、Cが当夜相当量の焼酎を飲んで酩酊していたことに触発されたものであろう。

(2)  被告人は、逮捕当日は調べもなく、酔つぱらつた状態で寝てしまい、翌朝目を覚ました際にも自分が刺したのかCが刺したのかなかなか思い出せず、警察官にもはつきり思い出せないというようなことを最初の方は言つたと思うなどと供述するが、逮捕当日に取調べがあつたことは同日付調書が作成されていることによつて疑問の余地がない。このように右供述は事実と食い違つていることが明白であるうえに、そもそも他人の罪をかぶつたと主張するものが犯行状況についてはつきりした記憶がないなどということは矛盾も甚だしく、これらの供述は思わず本音を吐いたものであるか、そうでないとすれば被告人が場当り的にいい加減な思いつきを述べていることをはしなくも露呈したものと解さざるをえない。

(3)  被告人は一〇月二一日の検察官の取調べの際にはCは「この前のかたきだ。」というようなことを言つて被害者の腹を刺したと供述していたが、当公判廷ではCは黙つてやつてきて刺したと供述し、検察官に一〇月二一日の供述を指摘されるとその後再度供述を変更しているのであつて、このような基本的な事柄で変遷を重ねるのは不自然である。

(4)  出刃包丁の柄に被害者の血痕が付着していることにつき、包丁を振り回して被害者の左腕を切つた際に二〇センチメートル位血がシュウシュウ飛んだのが付着したと説明するが、右傷害部位に動脈性出血が認められたということからすれば、被告人がいうような出血をしたということ自体はありえないことではないにしても、包丁が右部位ないしはその付近にあつたのは一瞬のことに過ぎないから、いずれにせよ右出血による血が包丁に付着したというのはいかにも不合理である。

(5)  被告人は一〇月一一日、一〇月二一日に自白を翻した際、CはBの腹を刺した後、自分で包丁を炊飯器の横に置いたと述べていたのに、当公判廷では被告人がCから包丁を取り上げたと供述を変え、二一日の右供述は嘘であつたと述べている。二一日には本当のことを検察官に対して述べたと供述する被告人がなぜ嘘をつく必要もない事項で敢えて嘘をつかなければならないのか全く理解できない。このように嘘であつたと言わざるを得ないのは被告人自身示唆するように後に被告人の血液型の血痕が洋出刃包丁についていることを知つたからであるとしか考えられないのである。しかも当公判廷においては自分の包丁を左手に持ち替えた後、右手でCの包丁を取り上げたとしていたのに、後には間違いなく左手で包丁を取り上げたと変え、供述の変遷を追及されるや再度供述をかえるなど供述にめまぐるしく変遷があり、極めて不自然である。

(6)  被告人は当公判廷においても被害者がCから刺されて倒れてから脅かすために床に包丁を突き立てたことを認めていたのに、その後嘘を言つていたとして納得のいく理由もなく供述を変えており、極めて不自然である。これは、Cが被害者を刺したのを見て「しまつた」と思い、同人から包丁を取り上げて炊飯器の横に置き、Cに電話するように指示したという被告人が、倒れている被害者の面前に包丁を突き立てて脅すということが不可解な行動であるゆえに後に供述を変えたとしか考えられない。

以上のとおり、被告人の当公判廷における弁解は不自然、矛盾、変遷が認められるので到底信用することはできないというべきである。

このように、捜査段階において被告人がなした自白が虚偽のものであるとする理由についての被告人の説明は到底措信し難く、また本件犯行についての当公判廷における種々の弁解も信用性に欠けることを併せ考えると、被告人の捜査段階における犯行状況に関する自白のうち、少なくともその核心部分である被害者の腹を殺意をもつて刺したという供述部分については信用性を認めてもよいものと考える。そして、被告人の捜査段階におけるこの自白内容と前記五で検討したところとを総合すると判示認定のとおりの事実は、優にこれを認定することができる。

(法令の適用)

被告人の判示所為は刑法二〇三条、一九九条に該当するので、所定刑中有期懲役刑を選択し、その所定刑期の範囲内で被告人を懲役四年に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数中二四〇日を右刑に算入し、訴訟費用は刑事訴訟法一八一条一項但書により被告人に負担させないこととする。

(量刑の理由)

本件は判示のとおり被害者が被告人の肩を押したことにより、両者の間でもみあいになり、更に被害者に突き飛ばされたりなどしたため被告人において激昂して、殺害行為に及んだという事案であり、直接のきつかけは被害者が被告人の肩を押したことにあるが、それまでの経緯を見ると、飲酒を禁止されている「希望の里」内で毎日のように隠れて飲酒をしていた被告人らが、右事実が病院側の知るところとなるや自分らの非を棚に上げ、被害者が告げ口をしたとして、被害者に対するいやがらせを画策し実行したばかりでなく、一日の仕事を終えて帰寮し、入浴後食事をとろうとしている被害者に対し、被告人において告げ口を口実に執拗に因縁をつけ挑発的態度に出ていたものであり、このようなことは漸く仕事の緊張感から解放されてくつろぎのひと時をもとうとしている被害者にとつては耐え難いことというべく、同人のとつた被告人の肩を押すというような行動はむしろ被告人に対する反撥と抗議の意味をもつものであつて、これをとりたてて非難することは相当でないというべきである。

しかるに、被告人は右のような意味合いの被害者からの反撥、抗議に出合つて、腹を立ててつかみかかり、果ては激昂のあまり出刃包丁を持ち出していきなり人体の枢要部である腹部を刃体の全部が体内に刺入するほどの強さでもつて突き刺しているのであつて、そこには被告人の激情的ですぐに刃物に頼る危険な性向を看取することができるのであり、犯行直後、幸いにも迅速に適切な救急措置が取られたため一命を取りとめたものの、被害者の傷の程度からすれば死亡する可能性は極めて高かつたのであり、実に危険な犯行といわざるを得ず、加えて、被害者は本件犯行による傷害により左腎臟を喪失しており、その点でも結果は重大である。

しかも、被告人は公判審理において犯行を全面的に否認したうえ、手のこんだ虚偽の事実を構築して無実を主張し、あろうことか被告人が「希望の里」で約一箇月余何かと世話になつたはずのCを本件犯行の真犯人として名指しするなど、改悛の情に全く欠けるばかりでなく、自己の刑責を免れるためには他人を罪に陥れてもはばからない態度を示しているのであつて犯行後の情状も極めて悪質である。

以上の諸点を考慮すると被告人の責任は極めて重大であり、検察官の求刑にかかる懲役五年という刑も重きに過ぎることはないのであるが、被害者が寛大にも被告人を宥恕していること、幸いにも傷の治りが比較的早かつたことなど被告人に有利な事情もあるので今回は主文掲記の刑にとどめることとする。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官上田誠治 裁判官西 理 裁判官多和田隆史)

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